先日テレビで宮崎県の椎葉村のお話をしていました。
そう言えば私も25年位前にこの椎葉村にツアーで行った事を思い出し
当時椎葉村ではお嫁さんの来てがなく、若者が家庭を持てなくて困っていた。
そこで村長さんが一念発起しフィリピンからお嫁さんを連れて帰ったとかで
有名になっていました。確かに村の食堂などに入ってもカタコトの日本語で話す人に
会いました。そのような村でしたがそこで平家の落人伝説を聞き本当に本当に
胸を打たれました。
当時の服装、身形を見てもその厳しさは見て、聞いて、余りあるものでした。
当時は人の存在を消す為に煙を出さない火の使い方、人が移動する事による
小さな木や草などの倒れをなくする為に人の移動は木と木に竹を渡し、その竹の上を
歩くと言った説明に、なるほど!と感心をしたり驚いたりと当時の人達の偉大さ、凄さを
思い知りました。
中でも驚いた事に、そんな生活をしているこの村に何と素晴らしい能舞台が有った
事です。音の響きなどを考えた大きな坪などを駆使した素晴らしい舞台でした。
その上にこの能に使用する衣装の素晴らしさや、この衣装は当時からの物だと
説明を受けました。
一年に一度の催しを今でも続けていると当時説明を受けました。
只その時の舞台の上の煌びやかさと客席の質素さ、
このアンバランスはいかほどのものだったか考えただけでも涙が出る程
切ない思いがしました。只、平家の落人とは私がそれ迄考えていた落人とは
懸け離れた存在に私の中でなって行きました。
「平家にあらずんば人にあらず」平 時忠と言ったほどの一門の誇りを感じた
一日でも有りました。