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続・老.老介護の現実

本文章は前月2月配信の続文章となっていますので初めて読まれる方は前号もご確認

下さい。


さてこの様に老老介護と言うものの本当の厳しさを身を持って体感する事が出来

ましたがではどうしてこの様なきつい事を何故あれ程親身に献身的な介護が出来るのか

夫婦だから?親子だから?


いやいや、だからなどと言う単純なものではない、そこにはこの夫婦が半世紀にも余って

二人で培ってきた歴史にも似た証があるのではないか。

それがこの92歳の老人をここ迄元気に突き動かすのではないか。

キツイでしょう、シンドイでしょうと、通り一遍の親切心でこの老人から介護を

取り上げたらどうでしょう。


明日からこの老人はどうなるのでしょう?


今迄唯一私がやらねば、私がやってやらねばの根本がスポンとなくなるのです。

そう考えた時に、この介護と言うものの難しさ

もう少し哲学的に言うと人が人を見る、見る側と見られる側、しかもこの両者にはお互い

感情があり、この感情がやっかいな代物で時には犯罪などの起因となる事も有ります。


感情の縺れが見る側と見られる側で正反対の意味を持つからです。見る側で起こると犯罪となり、見られる側で起こると同情になるのだと私は思います。


今の世の中は介護保険なるものが普及し猫も杓子も一定の年齢になると車でお迎えが来

元気なお年寄りが颯爽と乗り込み何処かに出て行かれます。

又病院に行けばどの病院もマイクロバスで団体客よろしく待合所を占拠され

あちこちで井戸端会議よろしく話の花が咲きます。


A「そう言えば○○ちゃん、見らんが風邪でもひたんかいのう?」

B「おうおう、あれは腹の調子が悪いんで病院行っとるらしいぞ」とまあこんな一場面が

現実に79歳の私が経験したある整形外科病院での一コマです。


あの老老介護をしながら一生懸命生きている夫婦とこの一コマを重ねた時

あてはまる言葉を見つける事が出来ませんでした。


もう少し介護保険の使い方を考える必要があるのでは?

必要な人には本当に手厚い介護を又本件のご老人の様に頑張っている人には

介護保険の中からこのご老人に日当を払っても良いのではと思います。


それ程私はこのご老人に感動させられました。

ご老人、貴男の思い通り仲良く介護余生を送って下さい。

ありがとうございました。


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